海外おもしろムービーCM

2008年03月29日

「ヴェネツィア国際映画祭(イタリア)」の解説です!

ヴェネツィア国際映画祭(Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞(Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

【概要】
世界最古の歴史を持つ国際映画祭である。
国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭のうち、2006年の上映作品数は第41位(115本)、来場者数は第10位(174,000人)であった。
かつてはカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並び世界三大映画祭に数えられることもあったが、現在では映画祭としての規模の小ささ、マーケットとしての魅力の乏しさ、また政治利用の場となっていることなどから権威が失墜、映画製作者やバイヤー等の映画人離れが起こっている。

【歴史】
最も歴史の古い国際美術展であるヴェネツィア・ビエンナーレの第18回(1932年)の際に、映画部門として開始された。国際映画祭としては最初とも言われる。初回の最優秀賞は、観客の投票で決められた。1934年から1942年までは、最高賞が「ムッソリーニ賞」であった他、戦争のために1940年から1942年は参加が激減する。低迷していた中、1950年代に多くの日本映画を世界に紹介する事となる。再度脚光を浴びる事となったのは、1979年から1982年にカルロ・リッツァーニがディレクターに就任した期間であった。この間に、現在のプログラム構成に繋がるプログラミングが行われている。長らくマーケット部門を持たず、商業よりも芸術の映画祭として続いてきたが、2002年にマーケットが設けられるなど、商業映画の比重は次第に高まっている。


【公式な賞】
金獅子賞(Leone d'Oro/Golden Lion)
最高賞(作品賞)。受賞者には金色の獅子のトロフィーが贈られる。
銀獅子賞 (Leone d'Argento/Silver Lion)
監督へと与えられる(監督賞)。受賞者には銀色の獅子のトロフィーが贈られる。
審査員特別賞(Premio Speciale della Giuria/Special Jury Prize)
男優賞、女優賞
正式名称はヴォルピ杯(Coppa Volpi/Volpi Cup)であり、受賞者に贈られる杯のことでもある。Volpiはキツネの意であるVolpeの複数形。
マルチェロ・マストロヤンニ賞(Premio Marcello Mastroianni/Marcello Mastroianni Award)
新人俳優に与えられる(新人賞)。賞の名前は、イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニの名を冠する。
オゼッラ賞 (Osella)
脚本家へと与えられる脚本賞と、技術的な貢献を評して贈られる技術貢献賞の2つがある。
他に、オリゾンティ部門の上映作品に対する賞や、全長編上映作品の中から初監督の作品に与えられる賞、短編部門の賞などがある。


【日本に関係した事象】
日本映画での主な受賞は以下の通りである。

第6回(1938年) - 田坂具隆監督の『五人の斥候兵』が、イタリア民衆文化大臣賞を受賞。
第7回(1939年) - 田坂具隆監督の『土と兵隊』が日本映画総合賞を受賞 。
第12回(1951年) - 黒澤明監督の『羅生門』が、金獅子賞、イタリア批評家賞を受賞。
第13回(1952年) - 溝口健二監督の『西鶴一代女』が、監督賞を受賞。
第14回(1953年) - 溝口健二監督の『雨月物語』が、銀獅子賞、イタリア批評家賞を受賞。
第15回(1954年) - 溝口健二監督の『山椒大夫』が、銀獅子賞を受賞(3年連続受賞は日本人唯一)、黒澤明監督の『七人の侍』も銀獅子賞を受賞。
第17回(1956年) - 市川崑監督の『ビルマの竪琴』が、サン・ジョルジオ賞を受賞。
第19回(1958年) - 稲垣浩監督の『無法松の一生』が、金獅子賞を受賞。
第22回(1961年) - 黒澤明監督の『用心棒』で、三船敏郎が主演男優賞を受賞。
第23回(1962年) - 小林正樹監督の『人間の條件』がサン・ジョルジオ賞、イタリア批評家賞を受賞。
第26回(1965年) - 黒澤明監督の『赤ひげ』が、三船敏郎の主演男優賞の他、サン・ジョルジオ賞、イタリア産業賞、国際カトリック事務局賞を受賞。
第28回(1967年) - 手塚治虫原作の劇場アニメ『ジャングル大帝』が、サンマルコ銀獅子賞を受賞。
第46回(1989年) - 熊井啓監督の『千利休・本覚坊遺文』が、監督賞(銀獅子賞)を受賞。
第48回(1991年) - 竹中直人監督の『無能の人』が、国際批評家連盟賞を受賞。
第54回(1997年) - 北野武監督の『HANA-BI』が、金獅子賞を受賞。
第59回(2002年) - 塚本晋也監督の『六月の蛇』が、コントロ・コレンテ部門 審査員特別賞を受賞。
第60回(2003年) - 北野武監督の『座頭市』が、監督賞(銀獅子賞)、観客賞、オープン2003年賞、デジタルアウォードを受賞。
第64回(2007年) - 北野武監督映画作品の『監督・ばんざい!』にちなんだ、『監督・ばんざい!賞』(Glory to the Filmmaker! award)が創設され、北野監督が第1回受賞者となる。この賞は、存命中の映画監督に贈られる賞として「現役で、将来にわたって活躍が期待される映画監督」という趣旨で創設されたものであり、日本映画のタイトルが賞の名称となったことは、同映画祭史上初である。
また、第54回(1997年)には、映画監督の塚本晋也が、大島渚以来の審査委員を務めた。

1982年には黒澤明に、2005年には宮崎駿に、Leone d'Oro alla carrieraが贈られた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年03月26日

「モントリオール世界映画祭(カナダ)」の解説です!

モントリオール世界映画祭(Festival des Films du Monde - Montréal)は、毎年8月下旬から9月頭にかけてカナダのモントリオールで開かれるFIAPF公認の国際映画祭。1977年から開催されており、トロント国際映画祭と並び北米最大規模の映画祭である。


【 概要】
近年は、8月末から9月初旬に行われるヴェネツィア国際映画祭、9月に開催される世界三大映画祭のひとつであるトロント国際映画祭と開催時期が重なるようになり、ワールドワイドな求心力を失いつつある。しかし、それでもトロント国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭を上回る例年350以上の作品が上映され、来場者数250,000人はトロント国際映画祭(来場者数321,000人)に及ばないもののヴェネツィア国際映画祭の174,000人を凌ぐ規模を維持している。


【最優秀作品賞受賞作品】
1978年 『Ligabue』サルヴァトーレ・ノティカ (イタリア)
1979年 『1 + 1 = 3』 ハイディ・ゲネー (西ドイツ)
1980年 『スタントマン』 リチャード・ラッシュ (アメリカ)、『Fontamara』 カルロ・リッツァーニ (イタリア)
1981年 『The Chosen』 ジェレミー・ケーガン (アメリカ)
1982年 『スティング/ブリムストン&トリークル』 リチャード・ロンクレイン (イギリス)
1983年 『未完の対局』 佐藤純彌、段吉順 (日本・中国)
1984年 『エル・ノルテ/約束の地』 グレゴリー・ナヴァ (アメリカ)
1985年 『わが父/パードレ・ヌエストロ』フランシスコ・レゲーロ (スペイン)
1986年 『ベティ・ブルー』 ジャン・ジャック・ベネックス (フランス)
1987年 『ケニー』 クロード・ガニオン (カナダ・アメリカ・日本)
1988年 『読書する女』 ミシェル・ドヴィル (フランス)
1989年 『Freedom is Paradise』 セルゲイ・ボドロフ (ソ連)
1990年 『Caidos del cielo』 フランシスコ・ロンバルディ (ペルー・スペイン)
1991年 『サーモンベリー』 パーシー・アドロン (西ドイツ)
1992年 『El lado oscuro del corazón』 エリセオ・スビエラ (アルゼンチン・カナダ)
1993年 『Trahir』 ラドゥ・ミヘイレアニュ (フランス・ルーマニア)
1994年 『ワンス・ウォリアーズ』 リー・タマホリ (ニュージーランド)
1995年 『ジョージア』 ウール・グロスバード (アメリカ・フランス)
1996年 『ディファレント・フォー・ガールズ』 リチャード・スペンス (イギリス)
1997年 『運動靴と赤い金魚』 マジッド・マジディ (イラン)
1998年 『The Quarry』 マリオン・ヘンセル (スイス・ベルギー)、『最後通告』 フレディ・M・ムーラー (スイス・フランス・ドイツ)
1999年 『太陽は、ぼくの瞳』 マジッド・マジディ (イラン)
2000年 『もういちど』 ポール・コックス (オーストラリア・ベルギー)、『Le goût des autres』 アニエス・ジャウイ (フランス)
2001年 『少女の髪どめ』マジッド・マジディ (イラン)、『TORZOK』 Arpad Sopsits (ハンガリー)
2002年 『Il Più Bel Giorno Della Mia Vita』 クリスチナ・コメンチーニ (イタリア)
2003年 『KORDON』 ゴラン・マルコヴィック (セルビア・モンテネグロ)
2004年 『The Syrian Bride』 エラン・リクリス (イスラエル・フランス・ドイツ)
2005年 『Off Screen』 ピーター・クイパース (オランダ・ベルギー)
2006年 『長い散歩』 奥田瑛二 (日本)、『O Maior Amor do Mundo』 カルロス・ディエギス (ブラジル)
2007年 『BEN X』ニック・バルサザール(ベルギー、オランダ)/『UN SECRET』クロード・ミレール(フランス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(スイス)」の解説です!

カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(Mezinárodní filmový festival Karlovy Vary, Karlovy Vary International Film Festival)はチェコの西北部の都市カルロヴィ・ヴァリで開かれる国際映画祭である。国際映画製作者連盟公認の映画祭であり、東欧でも最大級の映画にまつわるイベントである。

歴史は古く、1946年に第一回目が開かれたが、1948年以来共産主義のコントロール下におかれ、1956年から1968年までは2年に1回、次の第21回目は10年後の1978年に開かれるなど不定期であった。1994年から新体制で毎年開かれるようになった。


【グランプリ受賞作品】
1994年 "Mi hermano del alma" (スペイン)
1995年 "Jízda" (チェコ)
1996年 コーカサスの虜 (ロシア・カザフスタン)
1997年 ぼくのバラ色の人生 (フランス・ベルギー・イギリス)
1998年 "Le Coeur au poing" (カナダ)
1999年 "Ha Chaverim Shel Yana" (イスラエル)
2000年 私の小さな楽園 (ブラジル)
2001年 アメリ (フランス)
2002年 "Rok ďábla" (チェコ)
2003年 向いの窓 (イタリア・イギリス他)
2004年 "Certi Bambini" (イタリア)
2005年 ニキフォル 知られざる天才画家の肖像 (ポーランド)
2006年 "Sherrybaby" (アメリカ)
2007年 "Mýrin" (アイスランド・ドイツ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「トロント国際映画祭(カナダ)」の解説ーー 概要版 ーー

【概要】
例年300以上の作品が上映され、来場者数321,000人(ベルリン、カンヌに次ぐ規模)を誇る北米最大の映画祭であり、オスカー・レースの始まりとなる重要な映画祭となっている。

1976年に"The Festival of Festivals"として開催されたのが始まり。これは、世界中の映画祭で上映された優れた作品を集めて上映するというものであった。その後、多くの出資者やオーガナイザーの助力により、ハリウッド映画にとって欠かせない映画祭に成長した。

FIAPF登録上は6月開催の国際映画祭であるが、近年は9月に行われている。この為、同じく北米最大規模の映画祭であるモントリオール世界映画祭(8月下旬から9月頭)と開催時期がほぼ重なり、競合状態となっている。

これまで、『炎のランナー』『再会の時』『アメリカン・ビューティー』『サイドウェイ』『ヒトラー 〜最期の12日間〜』『クラッシュ』といった作品がこの映画祭でプレミア上映されている。

【賞】
ノン・コンペティションである為、観客賞(ピープルズ・チョイス・アウォード)が最高賞である。2006年に授与された賞は以下の通り。

ピープルズ・チョイス・アウォード (The People’s Choice Award)
ディーゼル・ディスカバリー・アウォード (The Diesel Discovery Award)
国際批評家連盟賞 (The Fipresci Prize)
The Citytv Award for Best Canadian First Feature
The Toronto – City Award for Best Canadian Feature Film
The Short Cuts Canada Award
The Swarovski Cultural Innovation Award

【 ピープルズ・チョイス・アウォード受賞作品】
1978年 『ガールフレンド』クローディア・ウェイル
1979年 『Best Boy』アイラ・ホール
1980年 『ジェラシー』ニコラス・ローグ
1981年 『炎のランナー』ヒュー・ハドソン
1982年 『テンペスト』ポール・マザースキー
1983年 『再会の時』ローレンス・カスダン
1984年 『プレイス・イン・ザ・ハート』ロバート・ベントン
1985年 『オフィシャル・ストーリー』ルイス・プエンソ
1986年 『アメリカ帝国の滅亡』ドゥニ・アルカン
1987年 『プリンセス・ブライド・ストーリー』ロブ・ライナー
1988年 『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ペドロ・アルモドヴァル
1989年 『ロジャー&ミー』マイケル・ムーア
1990年 『シラノ・ド・ベルジュラック』ジャン=ポール・ラプノー
1991年 『フィッシャー・キング』テリー・ギリアム
1992年 『ダンシング・ヒーロー』バズ・ラーマン
1993年 『スナッパー』スティーヴン・フリアーズ
1994年 『司祭』アントニア・バード
1995年 『アントニア』マルレーン・ゴリス
1996年 『シャイン』スコット・ヒックス
1997年 『The Hanging Garden』トム・フィッツジェラルド
1998年 『ライフ・イズ・ビューティフル』ロベルト・ベニーニ
1999年 『アメリカン・ビューティー』サム・メンデス
2000年 『グリーン・デスティニー』アン・リー
2001年 『アメリ』ジャン=ピエール・ジュネ
2002年 『クジラの島の少女』ニキ・カーロ
2003年 『座頭市』北野武
2004年 『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ
2005年 『ツォツィ』ギャヴィン・フッド
2006年 『Bella』アレハンドロ・ゴメス・モンテヴェルデ
2007年 『Eastern Promises』デヴィッド・クローネンバーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「トロント国際映画祭(カナダ)」の解説ーー 概要版 ーー

【概要】
例年300以上の作品が上映され、来場者数321,000人(ベルリン、カンヌに次ぐ規模)を誇る北米最大の映画祭であり、オスカー・レースの始まりとなる重要な映画祭となっている。

1976年に"The Festival of Festivals"として開催されたのが始まり。これは、世界中の映画祭で上映された優れた作品を集めて上映するというものであった。その後、多くの出資者やオーガナイザーの助力により、ハリウッド映画にとって欠かせない映画祭に成長した。

FIAPF登録上は6月開催の国際映画祭であるが、近年は9月に行われている。この為、同じく北米最大規模の映画祭であるモントリオール世界映画祭(8月下旬から9月頭)と開催時期がほぼ重なり、競合状態となっている。

これまで、『炎のランナー』『再会の時』『アメリカン・ビューティー』『サイドウェイ』『ヒトラー 〜最期の12日間〜』『クラッシュ』といった作品がこの映画祭でプレミア上映されている。

【賞】
ノン・コンペティションである為、観客賞(ピープルズ・チョイス・アウォード)が最高賞である。2006年に授与された賞は以下の通り。

ピープルズ・チョイス・アウォード (The People’s Choice Award)
ディーゼル・ディスカバリー・アウォード (The Diesel Discovery Award)
国際批評家連盟賞 (The Fipresci Prize)
The Citytv Award for Best Canadian First Feature
The Toronto – City Award for Best Canadian Feature Film
The Short Cuts Canada Award
The Swarovski Cultural Innovation Award

【 ピープルズ・チョイス・アウォード受賞作品】
1978年 『ガールフレンド』クローディア・ウェイル
1979年 『Best Boy』アイラ・ホール
1980年 『ジェラシー』ニコラス・ローグ
1981年 『炎のランナー』ヒュー・ハドソン
1982年 『テンペスト』ポール・マザースキー
1983年 『再会の時』ローレンス・カスダン
1984年 『プレイス・イン・ザ・ハート』ロバート・ベントン
1985年 『オフィシャル・ストーリー』ルイス・プエンソ
1986年 『アメリカ帝国の滅亡』ドゥニ・アルカン
1987年 『プリンセス・ブライド・ストーリー』ロブ・ライナー
1988年 『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ペドロ・アルモドヴァル
1989年 『ロジャー&ミー』マイケル・ムーア
1990年 『シラノ・ド・ベルジュラック』ジャン=ポール・ラプノー
1991年 『フィッシャー・キング』テリー・ギリアム
1992年 『ダンシング・ヒーロー』バズ・ラーマン
1993年 『スナッパー』スティーヴン・フリアーズ
1994年 『司祭』アントニア・バード
1995年 『アントニア』マルレーン・ゴリス
1996年 『シャイン』スコット・ヒックス
1997年 『The Hanging Garden』トム・フィッツジェラルド
1998年 『ライフ・イズ・ビューティフル』ロベルト・ベニーニ
1999年 『アメリカン・ビューティー』サム・メンデス
2000年 『グリーン・デスティニー』アン・リー
2001年 『アメリ』ジャン=ピエール・ジュネ
2002年 『クジラの島の少女』ニキ・カーロ
2003年 『座頭市』北野武
2004年 『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ
2005年 『ツォツィ』ギャヴィン・フッド
2006年 『Bella』アレハンドロ・ゴメス・モンテヴェルデ
2007年 『Eastern Promises』デヴィッド・クローネンバーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年03月16日

韓国は世界一テレビドラマを見る国って知っていましたか?

韓国は世界一テレビドラマを見る国で、視聴率が80パーセントを超えるドラマシリーズもある。 韓国でチャンネル権を握るのは母親で、財閥系企業のCMが集中する 韓国では銀幕のスターといった映画俳優の方がレベルが上で、ドラマにしかでない俳優は二流だと言われる。

有名なものは以下のものがある

★秋の童話 >>詳細はこちら


★春のワルツ >>詳細はこちら


★冬のソナタ  >>詳細はこちら


★夏の香り >>詳細はこちら


★チャングムの誓い >>詳細はこちら


★ホテリアー >>詳細はこちら


★オールイン >>詳細はこちら


★私の名前はキム・サムスン >>詳細はこちら


★屋根裏部屋の猫
朱蒙 (テレビドラマ)  >>詳細はこちら


★パリの恋人 (韓国ドラマ)  >>詳細はこちら


★美しき日々 >>詳細はこちら

ハリウッドサインのエピソード(その2)

最初は「HOLLYWOODLAND」だった。

しかし、女優のPeg Entwistle(本名:Lillian Millicent Entwistle、1908年7月1日ロンドン生まれ)が、映画「Thirteen Women」の出演に決定したが後に取り消しとなった事に悲観し、1932年9月18日の夜「HOLLYWOODLAND」の「H」に立てかけてあった作業用の梯子を使い、その上まで登り飛び降り自殺した。

その後不吉の原因は「HOLLYWOODLAND」の13文字にあるとみなされ、「LAND」の4文字が撤去され、現在の9文字になった。

ハリウッドサインのエピソード

ハリウッド地区を象徴するサインHOLLYWOODは世界的に有名である。晴れた日には40〜50キロ離れたところからでも見える。

このサインは、1923年に「HOLLYWOODLAND」という不動産会社の広告として、一文字が高さ14m(45フィート)幅9m(30フィート)もある「HOLLYWOODLAND」という文字に、4000個の電球が取り付けられ、当時の金額で21,000ドルをかけて製作されたものだった。

広告の保守・管理が1939年にやめられたため、長年風雨にさらされ「LAND」の部分が破損、美観を損ねるということで1949年に地元の商工会議所が一般からの寄付を募り、4,000ドルを費やし破損した部分を撤去した。

やがて残された部分も傷みがひどくなり、1973年に28,000ドルの寄付を募る事により全面改修を計画。

1978年にはハリウッド・サイン基金(Hollywood Sign Trust)が設立された。

同年ヒューズ・ヘリコプター会社、パシフィック・アウトドア広告会社、ヒース看板会社が共同で元々のサインを解体、同じ場所に鉄骨造りで、現在見る事が出来る「HOLLYWOOD」のサインを建てた。

2008年03月08日

週刊誌でスザンヌとの熱愛が報じられた山本耕史

ロックミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の製作発表が行われ、主演の山本耕史、韓国人歌手のソムン・タクが出席した。性転換手術に失敗したロックシンガーの波乱に満ちた人生を演じる山本は、「僕の人生も波乱だらけ。でも、いろいろなものにトライし、恋もすることに生きていくことの素晴らしさがある」とコメント。週刊誌でタレントのスザンヌとの熱愛が報じられたが、「つねにプライベートは充実しているし、周りからの愛を感じている」。2人の関係については「仲良くしております」と交際が順調であることをうかがわせた。

- 時事通信社 -

2008年01月14日

ヴェネツィア国際映画祭(田坂具隆『五人の斥候兵』)

ヴェネツィア国際映画祭 (Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

『五人の斥候兵』は日本映画界初の世界三大映画祭受賞作品である。


>>>この記事の詳細を読む<<<

ヴェネツィア国際映画祭はカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並ぶ世界三大映画祭の1つ(日本映画での主な受賞)

ヴェネツィア国際映画祭 (Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞 (Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

【日本映画での主な受賞】

>>>この記事の詳細を読む<<<

ヴェネツィア国際映画祭はカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並ぶ世界三大映画祭の1つ(賞の種類)

ヴェネツィア国際映画祭 (Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞 (Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

公式な賞
>>>この記事の詳細を読む<<<

ヴェネツィア国際映画祭はカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並ぶ世界三大映画祭の1つ

ヴェネツィア国際映画祭 (Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞 (Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並ぶ世界三大映画祭の1つにも数えられる。

歴史
最も歴史の古い国際美術展であるヴェネツィア・ビエンナーレの第18回(1932年)の際、映画部門として開始された。

国際映画祭としては最初とも言われる。初回の最優秀賞は観客の投票で決められた。

1934年から1942年までは最高賞が「ムッソリーニ賞」であった他、戦争のために1940年から1942年は参加が激減する。低迷していた中、1950年代に多くの日本映画を世界に紹介する事となる。

再度脚光を浴びる事となったのは1979年から1982年にカルロ・リッツァーニがディレクターに就任した期間であった。

この間に現在のプログラム構成に繋がるプログラミングが行われている。ながらくマーケット部門を持たず、商業より芸術の映画祭として続いてきたが、2002年にマーケットが設けられるなど、商業映画の比重は次第に高まっている。

2008年01月04日

エディ・マーフィさんが結婚、お相手は映画製作者か?

ロサンゼルス(AP) 米人気コメディアンのエディ・マーフィさん(46)が元日の1月1日、映画製作者のトレーシー・エドモンズさん(40)と結婚した。2人の代理人が米芸能誌ピープルに伝えた。


2人は昨年から交際を始め、7月に婚約。結婚式は、フランス領ポリネシアのボラボラ島で、家族や親しい友人だけで挙げたという。

マーフィさんには、2005年に離婚した>>>この記事の詳細を読む<<<

2008年01月03日

海老蔵、空中浮遊 新春歌舞伎はラスベガス流

2008年1月3日  東京・新橋演舞場では2日、市川海老蔵(30)がラスベガスのテクニックを取り入れた空中浮遊を歌舞伎公演で初めて披露、観客を驚かせた。初芝居の幕が開いた都内の各劇場ともほぼ満員の入りで、暗い世相だからこそなのか、しばし日常を忘れてひいきの俳優の芝居に酔っていた。

 不動明王にふんした海老蔵>>>この記事の詳細を読む<<<

紅白視聴率ワースト2位 高かった40%の壁 

昨年大みそかに行われた「第58回NHK紅白歌合戦」の番組平均視聴率が2日、ビデオリサーチから発表され、関東地区は第1部が32・8%(関西地区33・2%)、午後9時30分からの第2部は、関東地区で39・5%と04年の39・3%に次ぐワースト2位だった(関西地区39・5%)。>>>この記事の詳細を読む<<<

紀香は西宮で里帰り正月…HPに書き込み 

 日記コーナーの1月1日付に掲載。新年のあいさつとともに、まず、昨年大みそかに夫のお笑いタレント、陣内智則(33)とNHK紅白歌合戦に審査員として出場した件に触れ「歌の力。ばりばり感じました。すごいっす…素敵な年越しに感謝、感謝です」と感激の胸中を吐露。

 元日については「おせち、お雑煮、そして!恒例の鯛!お庭で父が炭をおこして焼いてくれました」と明かし、「おとそは父が特にお気に入りの純米大吟醸『鳳麟』を美味しくいただきました」と“一家団らん”を喜んだ。

関連サイト>>>こちら

大みそかに夫の陣内智則(33)と紅白に審査員として出演した藤原紀香(36)が、兵庫・西宮市の実家に里帰りし正月を過ごした。

 公式ホームページに>>>この記事の詳細を読む<<<

「スケベな性描写」林真理子さん・インタビュー 

「不機嫌な果実」
「anego」など現代女性の赤裸々な姿を描いた恋愛小説が絶大な人気を集めてきた林真理子さんが、官能時代小説で新境地を開いた。中国明代の四大奇書「金瓶梅」を下敷きに舞台を江戸に移し、色と欲にまみれた男と女のドロドロを濃厚な性描写を交えて描く。


 ご自身は「売れもしないし話題にもならない」と相当ボヤ>>>この記事の詳細を読む<<<

2008年01月01日

中居正広と倖田來未はラブラブ「・・・」 紅白歌合戦で注目度が急上昇


 大晦日の「第58回NHK紅白歌合戦」は、“地味め”の前評判だったけど、紅組司会でSMAPの中居正広(35)と出場歌手の倖田來未(25)との交際報道で注目度が急激に上昇した感じですね。

けれども、2人に大きなリアクションはなく、心配された白組司会の笑福亭鶴瓶(56)の“脱線ポロリ”も回避された。

熱戦の結果は白組が勝利し、東京タワーに白い明かりがともって、今年の「NHK紅白歌合戦」は幕を閉じたのでした。

 紅白で最大の話題となっていたのは、交際がうわさされる紅組司会の中居と倖田來未(25)のラブラブぶりでしたが・・・。

 中居は倖田の出番になると、台本通りに「ツアーに明け暮れた1年でした。究極の愛のバラードです」と淡々と紹介しただけ。倖田は、青くライトアップされたステージで、青と黒を基調にしたドレス姿で「愛のうた」をつややかに歌い上げた。

 倖田の歌い終わった後、中居が「はい、ありがとうございました」と締めたが、鶴瓶が「かわいかった。ほんまにな!!」と中居に向けて意味深な笑みを浮かべながら、顔をのぞき込んでさらに感想を促した。

 これには、中居は表情を変えずに「良かったですね」とだけ。鶴瓶は「ホンマ、かわいかったな〜」と再び突っ込むも空振りに終わった。

 ステージ後の倖田は、取材陣の直撃に対し、笑みを浮かべつつも無言でしたね。

二人の交際の真相はどうなんでしょうか?

いずれにしても、お二人の幸せを願っております。

 結局、二人の話題は紅白の事前PRに貢献した形になったが、さて今回の視聴率にも貢献することになったのでしょうか。

現在、このサイトは人気blogランキング■位です。
>>>>人気blogランキングへ

ブログランキングアップに参加中です。応援ポチッとお願いします(笑)
    ↓ ↓ ↓
banner2.gif TOP記事へ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。