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2008年04月27日

ゴルゴ13が頻繁に使うM16(=AR-15)は、本来は軍用小口径アサルトライフル

間違った知識

SPR Mk12 Mod 0 / M16をベースとする米軍の特殊目的ライフル(=狙撃銃)「M16」について

ゴルゴ13が頻繁に使うM16(=AR-15)は、本来は軍用小口径アサルトライフルであり、狙撃銃ではない。当作品に取り上げられた事から、狙撃銃であるという間違った解釈が広まる事となった。ただしその「設定ミス」は作者も認める事であり、あえてM16を狙撃銃として用いるその理由について、作品中で解説がなされる事となった。ところが今度はそれによって「M16は狙撃には適さない」という、これもまた「間違った」解釈が広まる事となった。

その後、「激突!AK-100 vs M-16」で、【ゴルゴの体型に合い、突撃銃と狙撃銃の二面性をあわせ持った、いかなる場面にも即対応できるオールラウンダーな銃(銃のメンテナンスは臨機応変に対応できるらしい)】と、『ただ一人の軍隊』として自分に適している銃として使用していると説明している。

また、ゴルゴはM16の開発者でもある>>>この記事の詳細を読む<<<

『ゴルゴ13』(1983年、東宝東和、監督:出崎統、脚本:長坂秀佳) 「帝王の罠」(劇場版アニメ)

ゴルゴ13云々というよりも、「世界で初めて劇中にコンピュータグラフィックスを使ったアニメ作品」として有名。ゴルゴの声は瑳川哲朗が担当している。

ゴルゴが紙巻タバコを吸っていたり、待ち合わせでクラクションを鳴らされるまで相手に気づかない、おなじみの台詞を言わないなどが原作と違う。

最後の"謎解き"におけるクライアントのセリフは、円谷幸吉の遺書を彷彿させるものである。


ゴルゴ以外のキャストは>>>この記事の詳細を読む<<<

2008年03月31日

「赤ひげ」は黒澤明監督作品です!

『赤ひげ』(あかひげ)は、1965年に東宝、黒澤プロダクションにより製作された日本の映画。白黒作品。

山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を、黒澤明監督が「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意で、当時のどの日本映画よりも長い2年の歳月をかけて映画化した黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作。完成した作品を観た山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめ、興行も大ヒットを収めた。

当初、1964年末封切の予定であったが、制作の遅れから不可能となり、代わりにゴジラシリーズの「三大怪獣 地球最大の決戦」が制作された。また、赤ひげ役の三船敏郎は白黒映画にもかかわらずこの作品のために本当にひげを赤く染めていたという逸話も残っている。

国内のみならず、海外でもヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞。主演の三船敏郎もヴェネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞したが、同時にこれが黒澤映画における最後の「白黒映画作品」「三船出演作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となった。翌1966年、黒澤は東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。


ストーリー
舞台は江戸時代の小石川養生所。

長崎で当時最新のオランダ医学を学んだ青年医師・保本登は、見習いとして小石川養生所に住み込むことになった。エリートとしての矜持もあり、養生所を訪れる貧しい庶民たちや「赤ひげ」と>>>この記事の詳細を読む<<<
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2008年03月30日

「八月の狂詩曲」は黒澤明監督作品です!

『八月の狂詩曲』(はちがつのラプソディ、Rhapsody in August)は1991年の日本映画。村田喜代子の原作を黒澤明が映画化した。

ストーリー
ある夏休み。長崎市街から少し離れた山村に住む老婆・鉦の許に4人の孫たちがやってきた。都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈を覚えながらも、長崎の街にある戦争の傷跡や鉦が話す昔話を聞いて、戦争に対する考えを深めていく……。

エピソード
「アメリカのがないね」
この映画の撮影時にはなかった平和祈念公園のアメリカからの慰霊碑だが、1992年10月にアメリカのセントポール市から寄贈されている。この慰霊碑への寄付を募るために「八月の狂詩曲」上映会がセントポール市で開催された。また長崎市長からこの件に関して黒澤監督へ礼状が送られてきた。

なお、誤解されることも少なくないが、クラークが「すみませんでした」「私達悪かった」と鉦おばあちゃんに謝っている場面は、アメリカ人であるクラークが原爆投下を「すみませんでした」「悪かった」と謝罪しているわけではない。「私達」とは、「鉦の兄であるハワイに移民した錫次郎やクラークらの一家」のことであり、「すみませんでした」は「鉦おばあちゃんの夫が被爆死したことを知らなかった」ことに対してであり、「悪かった」のは鉦おばあちゃんが「長崎の人」なのに、夫の死因に思いが至らなかったことである。(Rhapsody in August - Wikipedia英語版の記述参照)

アリの行列を撮影するための待ち時間が余りにも長かった事から、撮影終了後にリチャード・ギアは「もうアリとは共演しない」と言い残して帰国した。

監督 黒澤明
製作 黒澤久雄
脚本 黒澤明
出演者 村瀬幸子
井川比佐志
音楽 池辺晋一郎
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 黒澤明
公開 1991年5月25日
上映時間 98分
製作国 日本
言語 日本語
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ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が彫られた者

人物以外の架空のキャラクターも対象になっている。以下は、その代表的な例。

A / B

ジューン・アリスン /エディ・アルバート/ポール・アンカ/ルイ・アームストロング/フレッド・アステア/リュー・エアーズ/ルシル・ボール /アントニオ・バンデラス/セダ・バラ/ジーン・バリー/ドリュー・バリモア/エセル・バリモア/ジョン・バリモア/ライオネル・バリモア/アン・バクスター/ザ・ビーチ・ボーイズ/ハリー・ベラフォンテ/アーヴィング・バーリン/サラ・ベルナール/ザ・ビートルズ/ウォーレン・ベイティ/ハンフリー・ボガート/レッド・バトンズ/パット・ブーン/シャルル・ボワイエ/クララ・ボウ/マーロン・ブランド/ピアース・ブロスナン/レナード・バーンスタイン

C / D

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「夢 (映画)」は黒澤明監督作品です!

「夢」の撮影に使われた大王わさび園水車小屋『夢』(ゆめ、英題:Dreams)は、1990年に公開された黒澤明による映画作品である。日本とアメリカの合作。当初 黒澤明監督最後の作品だった。

「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。黒澤明自身が見た夢を元にしている。各エピソードの前に、こんな夢を見たという文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。

水車のある村
私(主人公)と老人との会話の物語。自然の大切さや人生を説く。

若い男が静かな、川が流れる村に着く。その村の家や建物は全て、水車が付いている。その旅人は、壊れた水車の歯車を直している賢い老人と出会う。その老人は、この村人たちは、近代技術を拒み、自然を大切にしていると説く。

村人は便利さより精神的な健康を選んでいるということに、旅人は、驚き、この考えに興味をそそられる。この章、そして映画の最後に人々が嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送った事を喜び祝う老婆の葬式の行進が村で行われる。

この章は長野県の大王わさび農場で撮影された。

黒澤明監督
製作総指揮 スティーヴン・スピルバーグ
製作 黒澤久雄
井上芳男
脚本 黒澤明
出演者 寺尾聰
倍賞美津子
原田美枝子
根岸季衣
音楽 池辺晋一郎
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 黒澤明
配給 ワーナー・ブラザース
公開 1990年
上映時間 119分
製作国 日本・アメリカ
言語 日本語
制作費 $12,000,000


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年03月29日

「ヴェネツィア国際映画祭(イタリア)」の解説です!

ヴェネツィア国際映画祭(Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞(Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

【概要】
世界最古の歴史を持つ国際映画祭である。
国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭のうち、2006年の上映作品数は第41位(115本)、来場者数は第10位(174,000人)であった。
かつてはカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並び世界三大映画祭に数えられることもあったが、現在では映画祭としての規模の小ささ、マーケットとしての魅力の乏しさ、また政治利用の場となっていることなどから権威が失墜、映画製作者やバイヤー等の映画人離れが起こっている。

【歴史】
最も歴史の古い国際美術展であるヴェネツィア・ビエンナーレの第18回(1932年)の際に、映画部門として開始された。国際映画祭としては最初とも言われる。初回の最優秀賞は、観客の投票で決められた。1934年から1942年までは、最高賞が「ムッソリーニ賞」であった他、戦争のために1940年から1942年は参加が激減する。低迷していた中、1950年代に多くの日本映画を世界に紹介する事となる。再度脚光を浴びる事となったのは、1979年から1982年にカルロ・リッツァーニがディレクターに就任した期間であった。この間に、現在のプログラム構成に繋がるプログラミングが行われている。長らくマーケット部門を持たず、商業よりも芸術の映画祭として続いてきたが、2002年にマーケットが設けられるなど、商業映画の比重は次第に高まっている。


【公式な賞】
金獅子賞(Leone d'Oro/Golden Lion)
最高賞(作品賞)。受賞者には金色の獅子のトロフィーが贈られる。
銀獅子賞 (Leone d'Argento/Silver Lion)
監督へと与えられる(監督賞)。受賞者には銀色の獅子のトロフィーが贈られる。
審査員特別賞(Premio Speciale della Giuria/Special Jury Prize)
男優賞、女優賞
正式名称はヴォルピ杯(Coppa Volpi/Volpi Cup)であり、受賞者に贈られる杯のことでもある。Volpiはキツネの意であるVolpeの複数形。
マルチェロ・マストロヤンニ賞(Premio Marcello Mastroianni/Marcello Mastroianni Award)
新人俳優に与えられる(新人賞)。賞の名前は、イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニの名を冠する。
オゼッラ賞 (Osella)
脚本家へと与えられる脚本賞と、技術的な貢献を評して贈られる技術貢献賞の2つがある。
他に、オリゾンティ部門の上映作品に対する賞や、全長編上映作品の中から初監督の作品に与えられる賞、短編部門の賞などがある。


【日本に関係した事象】
日本映画での主な受賞は以下の通りである。

第6回(1938年) - 田坂具隆監督の『五人の斥候兵』が、イタリア民衆文化大臣賞を受賞。
第7回(1939年) - 田坂具隆監督の『土と兵隊』が日本映画総合賞を受賞 。
第12回(1951年) - 黒澤明監督の『羅生門』が、金獅子賞、イタリア批評家賞を受賞。
第13回(1952年) - 溝口健二監督の『西鶴一代女』が、監督賞を受賞。
第14回(1953年) - 溝口健二監督の『雨月物語』が、銀獅子賞、イタリア批評家賞を受賞。
第15回(1954年) - 溝口健二監督の『山椒大夫』が、銀獅子賞を受賞(3年連続受賞は日本人唯一)、黒澤明監督の『七人の侍』も銀獅子賞を受賞。
第17回(1956年) - 市川崑監督の『ビルマの竪琴』が、サン・ジョルジオ賞を受賞。
第19回(1958年) - 稲垣浩監督の『無法松の一生』が、金獅子賞を受賞。
第22回(1961年) - 黒澤明監督の『用心棒』で、三船敏郎が主演男優賞を受賞。
第23回(1962年) - 小林正樹監督の『人間の條件』がサン・ジョルジオ賞、イタリア批評家賞を受賞。
第26回(1965年) - 黒澤明監督の『赤ひげ』が、三船敏郎の主演男優賞の他、サン・ジョルジオ賞、イタリア産業賞、国際カトリック事務局賞を受賞。
第28回(1967年) - 手塚治虫原作の劇場アニメ『ジャングル大帝』が、サンマルコ銀獅子賞を受賞。
第46回(1989年) - 熊井啓監督の『千利休・本覚坊遺文』が、監督賞(銀獅子賞)を受賞。
第48回(1991年) - 竹中直人監督の『無能の人』が、国際批評家連盟賞を受賞。
第54回(1997年) - 北野武監督の『HANA-BI』が、金獅子賞を受賞。
第59回(2002年) - 塚本晋也監督の『六月の蛇』が、コントロ・コレンテ部門 審査員特別賞を受賞。
第60回(2003年) - 北野武監督の『座頭市』が、監督賞(銀獅子賞)、観客賞、オープン2003年賞、デジタルアウォードを受賞。
第64回(2007年) - 北野武監督映画作品の『監督・ばんざい!』にちなんだ、『監督・ばんざい!賞』(Glory to the Filmmaker! award)が創設され、北野監督が第1回受賞者となる。この賞は、存命中の映画監督に贈られる賞として「現役で、将来にわたって活躍が期待される映画監督」という趣旨で創設されたものであり、日本映画のタイトルが賞の名称となったことは、同映画祭史上初である。
また、第54回(1997年)には、映画監督の塚本晋也が、大島渚以来の審査委員を務めた。

1982年には黒澤明に、2005年には宮崎駿に、Leone d'Oro alla carrieraが贈られた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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